メガネオールバックの書評日記

自由気ままに読んだ本に自己解釈の概念をぶち込んだ、、、、そーでもない普通の感想文ですm(__)m

PLUTO

浦沢直樹×手塚治虫

今回は漫画の書評です。

Apple社が次なる路線として「人工知能」「仮想現実」などに着目した。
私はこのニュースを読んで、この漫画を改めて読みたくなったのである。

以前、IBMの社員の方が「ロボット、人工知能が人間を超えることはない。それは人間が管理する以上揺るがないこと……かもしれない」と教授と苦笑いしながら話していたのを思い出した。
この漫画では既にロボットが人間を超えている。それはこの漫画の鍵である「感情」がロボットに芽生えた、組み込まれたからではないかと思う。
人間が人間同士で感情を共有することは可能である。それと同様にロボットにも感情が共有されることが可能であることが見て取れた。
人間がロボットに感情を抱くのである。
ロボットに対して反対考えを持つ人は「怒り」、家族の1人として受け入れる人は「愛情」、別れを惜しむ「悲しみ」、ロボットは完璧ということに対する「嫉妬」、共に「喜び」を分かち合うこともできる。
無機質な形のロボット、人工知能でも私たちは自然と感情を持って接している。
なぜテンプレートのような音声に人間は答えるのか。なぜsiriに「話しかける」のか。なぜロボットに感情を抱きながら接するのか。
それを受けたロボットは果たして人間と同じ感情を抱いているのか否か!?ロボットは人種なのか?

あー脱線ばっかである。結局なんで人間を超えているのか伝えられない。
これまとめようとしても脱線してしまうからここでcut。