俺はズラタン・イブラヒモビッチ
サッカーを語る上でこの人なしには語れない。
サッカー界のレジェンド、ズラタン・イブラヒモビッチの自伝を読んだ。
スウェーデン、オランダ、イタリア、スペイン。移籍した各国のサッカーリーグで優勝タイトルを全て獲得した選手はそういない。
イブラが移籍してくるとチームはもちろん、サポーター含めチームの関係者にも活力が入る。そして彼はチームをタイトルに導くのである。
私はこの本を読んでいるうちにイブラの考え方に大きく影響された。
その考え方の一つ「俺流を貫く」スタイルだ。
イブラの「俺流」のなかには「聞くが聞かない」というのがある。若い頃まだ成長段階にあったイブラがコーチや監督にあれこれ指導されるなかでも、自分のプレースタイルは決して曲げないという考え方から生まれたものだ。
これは新しい環境、リーグの中でで人々との関係が変化する彼の人生のなかで、最も重要なポイントなのかもしれない。だからこそあれだけのスーパープレイが生まれたのだと言っても過言ではない。
彼は「俺流」を貫いたのだ。
イブラは最初に言った通り、チームに活力を生み出すリーダー性も発揮できる。
それは彼が一つのクラブを去った後にも影響する。チームに自信を持たせるのだ。
彼の自伝はまるで映画のようである。それは単純に自分がサッカーファンだからではなく、サッカーは彼の激動の人生の中に付いてきただけのである。彼がサッカーに魅力を見出さなかったらそれはそれで違う場所で伝説を生み出していただろう。
最後にPSGを今季で退団となる彼が残した新しい名言で締める。
「俺は王としてここにやってきて、レジェンドとしてチームを去る」
PLUTO
浦沢直樹×手塚治虫
今回は漫画の書評です。
私はこのニュースを読んで、この漫画を改めて読みたくなったのである。
この漫画では既にロボットが人間を超えている。それはこの漫画の鍵である「感情」がロボットに芽生えた、組み込まれたからではないかと思う。
人間が人間同士で感情を共有することは可能である。それと同様にロボットにも感情が共有されることが可能であることが見て取れた。
人間がロボットに感情を抱くのである。
ロボットに対して反対考えを持つ人は「怒り」、家族の1人として受け入れる人は「愛情」、別れを惜しむ「悲しみ」、ロボットは完璧ということに対する「嫉妬」、共に「喜び」を分かち合うこともできる。
無機質な形のロボット、人工知能でも私たちは自然と感情を持って接している。
なぜテンプレートのような音声に人間は答えるのか。なぜsiriに「話しかける」のか。なぜロボットに感情を抱きながら接するのか。
それを受けたロボットは果たして人間と同じ感情を抱いているのか否か!?ロボットは人種なのか?
あー脱線ばっかである。結局なんで人間を超えているのか伝えられない。
これまとめようとしても脱線してしまうからここでcut。
もらい泣き 冲方丁
表紙の女の子は笑顔で涙をこぼしている
こころに、じん……っとくる1冊だ
人間がなぜ涙を流すのか調べてみると、脳の断面図が出てきたので見るのをやめた
涙を流すのは、証明できない理由があるから
つまりその時のその人の感情があるからだ
この本に書かれているのは、その証明できない理由の数々だ
しかしどの涙も暖かい
あなたは涙を流したいと思うことはありますか?
私は最近しょっちゅうですわ……
ふと手に取ってみた本を
最近ハマっているというか、いつもそうしていたのだが、本を題名と最初の5~6文だけで読むか読まないか決めている。
だから○○の小説がすごくいい、だとか△△さんのここがよく表現されているとかの感想が言えない。
でも本を読んでいる時はその本の内容と一対一の関係が成り立っているので、自分にとって作者を気にしないのはよくあることだ。
作者を意識して読むのも面白いのかもしれないが、いうなればどの本にも「新鮮味」が欲しいのかもしれない。